ジョージ・ネルソンのアイコニックなボール クロック

酔っぱらった3人の天才、そして1949年のデザインアイコン。

ベイスター(マサチューセッツ人)、ニューヨーカー、カリフォルニアの3人がバーに入ってきて話をした。実はそこは、ミッドセンチュリーモダンデザインの父のひとり、工業デザイナーであるジョージ・ネルソン(George Nelson)のニューヨークオフィスだった。戦後のオフィスではよくあることだったが、1947年の夜に提供された飲み物は、どこのバーにもある美味しいものだった。やがてネルソンと、建築家で未来学者、そして彼の親友であるバックミンスター・フラー(Buckminster Fuller)、工業デザイナーのアーヴィング・ハーパー(Irving Harper)、芸術家のイサム・ノグチが順番に製図台に立ち、壁掛け時計の候補を書き出していった。

 これらのスケッチは、ハワードミラー社からの依頼に応えるためのものだった。同社はもともと、家具会社であるハーマンミラーの分社で、独立したネルソンは家具デザイナーからデザインディレクターに昇格したばかりだった。鉛筆が半透明の製図用紙のロールを引っ掻き、笑い声や冗談、コルク栓のはじける音が響く。彼らはデザイン史に名を残そうとしていただけでなく、パーティー好きで外交的でもあった。真偽の怪しい話によると、“バッキー”フラー(Buckminster Fuller)は過度のパーティー好きが原因で、ハーバード大学を追放されたと言われている。話が逸れた。

アメリカ人デザイナー、ジョージ・ネルソン。

 単純な球体の形や、思いつくままに言葉を弄ぶ遊びは、はるか昔の時計製造にまでさかのぼる。1500年代初頭の、最初の携帯時計は球形の傾向にあった。もともとはアメリカの時計メーカーで、現在はスイスの時計メーカーであるボール ウォッチは、時計の精度を示すために“to be on the Ball”(常に周りの様子を察知できる状態)という表現を長いあいだ使ってきた。カール F. ブヘラやオメガなどのスイス宝石商は、球状に膨らんだペンダントウォッチをボールウォッチと呼んでいた。しかしデザインマニアにとって、すべてを支配するボールはひとつしかない。1949年に発売されたボール クロックである。

 ボール クロックはまさに時代の申し子だ。1950年代によく使われたモチーフであるスターバースト(星型)とアスタリスクシンボルを使ったデザインが特徴である。また、物理学者のニールス・ボーア(Niels Bohr)とアーネスト・ラザフォード(Ernest Rutherford)が30年前に初めて発表した原子がモデルの可能性もある(放射線状)。その9年後、アトミウムビルは第58回のブリュッセル万博で、丸いボールと金属棒を披露した。ネルソンは1981年のインタビューで、この時計の多くの功績をノグチに捧げているが、私はこの時計を、フラーの将来のキャリアに不可欠なジオデシック・ドーム(正多面体)のような、ある種フラット化されたテンセグリティ構造と見ることもできる。

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 スタンリー・アバクロンビー(Stanley Abercrombie)の伝記、『George Nelson: The Design of Modern Design』のなかで、ネルソンは1947年の夜、彼のオフィスで過ごしたことを回想している。

「ボール クロックが開発された夜は、本当におもしろい一夜であった。(イサム)ノグチが来て、バッキー・フラーも来た。その頃バッキーとはよく会っていたが、そこにアーヴィングがいて、私がいて、ノグチは何事にも手を離せない人で(かゆいところに手が届くような素晴らしいものだ)、我々が時計に取り組んでいるのを見て落書きを始めたのだ。それからバッキーはイサムを脇に追いやった。彼は“時計をつくるにはこれがいい”と言って、まったくばかげたものを作った。みんなこれに挑戦し、お互いを押しのけて落書きをしたのだ」

「ある時点で我々は家を出た。少々飲みすぎたせいか急に疲れてきたのだ。そして翌朝、私がオフィスに戻ってくると、ここにこの(製図用紙の)ロールがあって、アーヴィングと私はそれを見た。そしてこのロールのどこかにボール クロックがあったのだ。誰がそれを描いたのか、今でもわからない。私ではないことはわかる。それはアーヴィングだったかもしれないが、彼はそうは思わなかった。我々はふたりとも、イサムがやったのだろうと推測した。彼はバカなことをやってとんでもないものをつくる天才だからだ。組み合わせから外れたのか、それとも付け足されたものなのか、いずれにせよ我々はわからなかった。そこで我々はこのボール クロックを製作した。これはハワードミラー社にとってある意味、オールタイムベストセラーとなった。そして突如としてミセス・アメリカが“キッチンに置くならこの時計”と決めた。なぜキッチンなのかはわからない。しかし、その後何年もキッチンを紹介する広告には必ずボール クロックが登場していた」

 この作品は、ネルソンが時計の使い方を徹底的に分析した内容にぴったりと合致しており、それにはふたつの要点があった。ひとつは、人々が針の位置で時間を読み取るために数字を使わなくなったこと。もうひとつはほとんどの人が腕時計をしていたことで、壁掛け時計は正確さを追求したものではなく装飾的な要素に変化したことである。そのためヨーロッパのキッチンが、高精度のエッグタイマーを内蔵したミニマルなユンハンス マックス・ビル クロックで飾られるのと同じ頃、アメリカではシンボリックなスタイルが流行していたのだ。私はネルソンが最後に主張した、キッチン広告の主張を証明することはできなかったが、ボール クロックのデザイナーとして認められている人物が自身の作品ではないというひとつのことについてのみ確信しているのは驚くべきことである。

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 個人的には、直径13インチ(約33cm)の時計の数あるバージョンのなかでも、ブルー、グレーブルー、グリーン、オレンジのボールが入ったバージョンと、桜材にラッカーを塗ったナチュラルなバージョンのふたつがお気に入りだ。ボールの直径は1.38インチ(約3.5cm)で、金属の棒を取り付ける切り込みがある。これらはクォーツムーブメントを収納する、4.21インチ(約11cm)の中央ボディから3.03インチ(約7.7cm)伸びている。ちなみに、このムーブメントは単3電池1本で駆動する。ああ、酔っぱらいのドラフトから開発された製品とは皮肉なものだ。

今日、オメガはウォッチメイキングにおけるキューピッドの役割を正式に開始して、

私たちの目の前に5本の新しいデ・ヴィル ミニ トレゾアの新作をお披露目した。あなたはもう愛を感じているだろうか?

De Ville Trésor Mini
“ミニ”という名前が示すように、最新のデ・ヴィル ミニ トレゾアはそれぞれ26mm径の小ぶりなサイズが特徴で、ステンレススティール製モデルを3種類、独自の18Kムーンシャイン™ゴールド製モデルを2種類で展開する。トレゾアファミリーに忠実でありながら、それぞれの時計はスリムで洗練されたローマ数字のアプライド(ゴールドダイヤルのみ)インデックスとアルファ針を備えている。ノンデイトかつ時刻表示のみのシンプルなデザインで、文字盤を保護する風防はややドーム状になっており、全体的にクラシックな魅力を表現している。

De Ville Trésor Mini
 3つのSSモデルの場合、すべて共通で、セットされるダイヤルはオフホワイトのグラン・フー エナメルにグレーのローマ数字だ。それぞれ個性が現れるストラップは、キルト柄のブラックレザー、グレーのアリゲーター、ダブルストラップタイプのブラウンレザーから選ぶことができる。

 ムーンシャイン™ゴールドモデルは、ブランドがより遊び心のある路線を取っている。オフホワイトのグラン・フー エナメル文字盤を背景に、鮮やかな赤いローマ数字を組み合わせた大胆なデザインを採用したモデルがひとつ。もうひとつのモデルは、シルクのような質感を持つシャンパンカラーのゴールドダイヤルで、同じくゴールドのアラビア数字は単色でありながら高級感のあるカラーパレットを生み出している。

De Ville Trésor mini
 時計を裏返すと、裏蓋にはおなじみの“Her Time”模様がプリントされている。これは19世紀後半まで遡る、ブランドの女性用時計製造の歴史へのオマージュとして咲き誇る花の曼荼羅である。花のモチーフに合わせて、リューズ自体にも真っ赤な花をプリントし、中央には1粒のダイヤモンドをセットしている。さらに各モデルにはブランド独自のファインジュエリーコレクションのユニークなブレスレットが付属する。私たちがジュエリーウォッチの領域にしっかりと足を踏み入れていることを考えると、これらの時計のそれぞれにブランドのクォーツムーブメント、正確にはオメガCal.4061が搭載されていることは驚くことではない(はあ) 。

Omega De Ville Trésor Mini
我々の考え
通常、ジュエリーウォッチのリリースについて書く機会はめったにない。ただ正直なところ、私がとても楽しんでいる!

De Ville Trésor Mini
 私はたくさんの輝きがある時計が好きなわけではないが、色はもちろん、文字盤全体にダイヤモンドがあしらわれているのは意外にそうでもない。と言っても、このモデルのケースにあしらわれたダイヤモンドの配置の仕方が好きなので、少し驚いている。鏡に映したかのようなアシンメトリーもいいし、ふたつの帯状のダイヤモンドがケースの緩やかなカーブに沿っているのもいい。また中央に向かって、個々のダイヤモンドが小ぶりになっていくのも好きだ。そして最も重要なのは、文字盤にまぶしいほどの輝きはなく、全体的なデザインがもう少し地に足がついたものに感じられることだ。

 ムーンシャイン™ゴールドケースを備えたチェリーレッドモデルが、すぐに私の目に留まったのは当然だ。しかし見れば見るほど、最初に気に入っていたもうひとつのゴールドトーンモデルにも愛着がわいてきたのも事実だ。

De Ville Trésor Mini
De Ville Trésor Mini
 既存のデ・ヴィル ミニ トレゾアシリーズに完全な革命を起こしたものではないが、これらのモデルはそれぞれより多くのバリエーションを追加し、最終的に着用する女性(またはすべての人!)の好みにさらに応えることができる。ドレッシーでフォーマルで、きらびやかで、時代を超越した魅力があるにもかかわらず、ひと癖もふた癖もある楽しいジュエリーウォッチなのだ。私たちがここで車輪の再発明をするつもりはない。ただ何よりも大切なことは、もし誰か気前のいい人がいたら、今年のバレンタインデーにこれらのひとつを自分用に開けることができたらとてもうれしいということだ…。

基本情報
ブランド: オメガ(Omega)
モデル名: デ・ヴィル ミニ トレゾア(De Ville Mini Trésor)
型番: 428.18.26.60.04.001(SS&グレーアリゲーター)、428.17.26.60.04.007(SS&ブラックレザー)、428.17.26.60.04.005(SS&ブラウンレザー)、428.58.26.60.04.003(ムーンシャイン™ゴールド&レッドアリゲーター)、428.57.26.60.99.001(ムーンシャイン™ゴールド&ファブリック)

直径: 26mm
厚さ: 7.5 mm
ケース素材: ステンレススティールまたはムーンシャイン™ゴールド
文字盤: オフホワイトのグラン・フーエナメルまたはムーンシャイン™ゴールド
インデックス: ローマ数字
夜光: なし
防水性能: 30m
ストラップ/ブレスレット: グレーアリゲーターストラップ、ブラックレザーダブルストラップ、ブラウンレザーダブルストラップ、レッドアリゲーターダブルストラップ、ファブリックストラップ(すべてピンバックル)

De Ville Trésor Mini
ムーブメント情報
De Ville Mini Trésor
De Ville Mini Trésor
キャリバー: 4061
機能: 時・分
パワーリザーブ: 約48カ月
巻き上げ方式: クォーツ

価格 & 発売時期
価格: SS&グレーアリゲーターは72万6000円、SS&ブラックレザーとSS&ブラウンレザーは73万7000円、ムーンシャイン™ゴールド&レッドアリゲーターは137万5000円、ムーンシャイン™ゴールド&ファブリックは146万3000円(すべて税込)
発売時期: 近日発売

セイコーとのコラボレーションウォッチを数多く手掛け、また日常的にも同社の時計をいくつも着用しています。

史上最高額の10年総額7億ドル(約1015億円)でドジャース入りした大谷選手は、先月末、27日(日本時間28日)にニューヨークで開催された全米野球記者協会(BBWAA)ニューヨーク支部主催の「アワードディナー」に登場。ディナーのドレスコードはブラックタイということで、大谷選手は「BOSS」のアーカイブからネイビーのタキシードジャケットを着こなしていました。

大谷選手は普段通訳の水原一平氏を通して発言することが多いですが、この日のMVP授賞式では日本語なしで、2分6秒の全英語スピーチを披露し、出席した関係者やファンたち約600人から拍手喝采を浴びました。僕は大谷翔平選手のスピーチを見ながら常に彼の手首に注目していました(完全に職業病ですね)。そこにあったのはブラックダイヤルにブラックのレザーストラップの腕時計。キラリと光る感じからインデックスはゴールド色に見えました。

僕は気になってすぐにGetty Imagesにアクセスし、時計がよく写っている写真を探しました。するとすぐにニューヨーク・ヒルトン・ミッドタウンでポートレート撮影に応じる大谷選手の写真を見つけました。

もっとクローズアップして見てみよう。

この写真を見てすぐにどのモデルかがわかりました。昨年グランドセイコーから日本製腕時計の110周年を記念して発表されたSBGW295です。本作は、1960年に発売された初代グランドセイコー通称“ファースト”のオリジナルデザインを35mmから38mmにサイズアップして現代的に復活させたSBGW259を始めとするモデルの限定バリエーションで500本が作られました。

筆者が撮影したグランドセイコー SBGW295。

ケースにはグランドセイコーが得意とするザラツ研磨が施されたブリリアントハードチタンが採用され、ダイヤルは漆黒の漆と蒔絵によるGrand Seikoのロゴと12ヵ所のインデックスが特徴です。高蒔絵は金沢の漆芸家・田村一舟(たむらいっしゅう)氏が純金を用いてひとつひとつ手作業で描いています。

またストラップは、かつて武士の鎧兜を編み上げたのと同じ手法で裁断された、牛革と糸を平織りして耐久性を高めた生地、鎧織(よろいおり)が採用されており、日本の技術や伝統が細部にまでこだわり抜かれた1本です。

タキシードにドレスウォッチをあわせるのは王道ですが、僕はこれまでグランドセイコーをあわせるセレブリティはあまり見かけたことがありませんでした。大谷選手のシックなタキシードにこの漆黒のグランドセイコーファーストは本当にクールな着こなしですね。

大谷選手といえば、令和6年能登半島地震による被災地支援のため、ドジャースと共同で約1億4500万円の寄付を行いました。これは僕が深読みしすぎているだけかもしれませんが、金沢の職人が手掛けたモデルをつけているのはエールを送る意味もあるのかも…しれませんね。

オーデマ ピゲの研究開発プラットフォームであった“ユニヴェルセル”が登場したが、

オーデマ ピゲが17もの複雑機構を持つ驚異的なCODE 11.59 “ユニヴェルセル”をリリースしたのは、ブランドにとって大きな瞬間であった。この時計はオーデマ ピゲがコンプリケーションの分野で最も注目すべきエキスパートのひとりであると、その地位を確固たるものにした(というより世界に知らしめた)だけでなく、CODE 11.59に“研究開発”というラベルももたらした。発売当時はインターネットでかなり酷評されていたコレクション(ただし、CODEは徐々にファンを獲得していった)にとっては、画期的な出来事である。しかし今回、CODEは独立したシンプルな時計として成長しただけでなく、オーデマ ピゲが手がけた最も複雑な作品のひとつがこの時計であることも示した。

 しかしここで問題なのは、それはロイヤル オーク コンセプトのテリトリーだと思っていたことだ。2015年まで遡っても、ロイヤル オーク コンセプトのケース形状はスーパーソヌリの技術革新とともに、オリジナルRDウォッチのベースモデルであった。実際、同社はスーパーソヌリの品質を証明したいあまり、プロトタイプをつくる際、最悪の響きを奏でるプラチナを素材に選んだ。私が扱った時計のなかで最も重い時計のひとつであることに加え、私が聞いたなかで最も大きな音のするリピーターのひとつでもある。信じられない音が響き、私は夢中になった。あのフォームファクターでコンセプトモデルをテストするのは完全に理にかなっていたが、あれが最後のRDコンセプトだった。それはブランドの研究開発用プラットフォームであり、ほかのどこにもない素材や、ムーブメントの実験を可能にするための完璧な大きさだった(少なくとも今はまだ)。しかしRD#4が登場したとき、私は突然、5年後にコンセプトが廃止される世界が見えたのだ。私の当面の疑問は、これでロイヤル オーク コンセプトは終わりなのかということだった。

The AP Royal Oak Concept RD#1 Supersonnerie Prototype
AP ロイヤル オーク コンセプト RD#1 スーパーソヌリ プロトタイプ 26576。プラチナケースに収められたこのモデルは、リピーターだけでなくトゥールビヨンとクロノグラフも搭載している。この時計は2015年に56万1600スイスフラン(当時の相場で約7070万円)で販売されたが、現在の流通市場では、そのほぼ半額で入手できる。

 私がロイヤル オーク コンセプトを好きになったのは、数年前にジョン・メイヤー(John Mayer)とその前にはファレル(Pharrell)の手首に巻かれているのを見たのがきっかけだった。私はすぐにリシャール・ミルが長年やってきたこと、つまり素材の実験と技術革新に重きを置いた、大きくて大胆な時計のより洗練されたバージョンだと考えた。時計作家の言葉を借りれば、44mm×16mm(またはそれくらい)の巨大なサイズよりも小さいが、それとは関係なく、手首での存在感は典型的なロックスターの時計だ。何度試着しても絶対に似合わないと思っているが、それでも大好きなのだ。ほかの誰かになることを想像させてくれる時計である。

 この50年間、オーデマ ピゲは、特異なデザインや形というよりも複雑な時計製造によって定義されたブランドであると強く主張できる。特に1978年は、その時代で最も薄い自動巻きパーペチュアルカレンダー、Cal.2120/2800のリリースにより、ブランドにとって信じられないほど重要な瞬間を迎えた。その後18年のあいだに、オーデマ ピゲはこの厚さ3.95mmのパーペチュアルカレンダーを搭載した6508本の時計と、791本のオープンワークモデルを製造することになる。そのなかで最も象徴的なのが、39mmのジャンボケースを備えた当時のロイヤル オークだ。パテック フィリップが創業150周年を記念して発表したCal.89から始まり、IWCの“イル・デストリエロ・スカフージア”やジェラルド・ジェンタの“グランド・エ・プティット・ソヌリ・パーペチュアル・カレンダー”といったリリースが続いたのは、ハイコンプリケーションの軍備拡張競争によって区切られた時代だったからである。しかし、ロイヤル オークのパーペチュアルカレンダーが最初の、そして紛れもなく最も象徴的なモデルのひとつであり、しばらくのあいだその状態は続いた。

コンセプトの誕生
 ときは流れて2002年、オーデマ ピゲはロイヤル オークの誕生30周年を記念して、コンセプトウォッチ1(CW 1)を発表し、象徴的なフォームファクターの未来を想像する手段とした。コンセプトは、クルマメーカーが最先端の開発をアピールして業界の未来を示すために頻繁に発売するコンセプトカーに触発されたため、その名前が付けられた。また、超薄型の2120ムーブメントとは信じられないほどかけ離れてもいた。

The RD#1 and CW1
左がオーデマ ピゲのRD#1、右がオーデマ ピゲのアーカイブにあるオリジナルのコンセプトウォッチ1(CW 1)、シリアルは0/150番。

 ロイヤル オーク コンセプトがブランドを象徴するアイコンとして捉えられていないのは不思議だ。その美学は当時としては大胆であった。洗練されて未来的で大振りなのだ。オーデマ ピゲは私に、これが真に21世紀に属する最初の時計と考えられると言った。実用主義的な観点から見ると、デザイナーに与えられた当初の使命は、可能な限りの技術革新を1本の時計に集約し、さらにコンクリートの壁に投げつけても壊れないようにしなければならなかったという。

 そのためケースにはコバルト、クロム、タングステン、シリコン、鉄からなる革新的な合金、アラクライト602が採用された。これはスティールよりも強度に優れていたが、それ以降、ほかの時計に使用されることはなかった。ベゼルはポリッシュされたチタン製だ。ムーブメントプレート、ブリッジ、トゥールビヨンケージの耐衝撃サポートシステムが鍛造カーボン製であることを強調しつつ、ムーブメント自体が文字盤として機能していた。またダイナモグラフ(ゼンマイのトルク量を示す)、ファンクションセレクター、香箱の回転数を示す線形インジケーターなどの新機能も搭載された。さらにストラップにはケブラー繊維で作られたファブリックストラップがセットされていた。

 オーデマ ピゲの開発ディレクター、ルーカス・ラギ(Lucas Raggi)氏は、私が昨年このテーマについて話をしたとき、「コンセプトは自由と極端さを表現しています」と話した。「私たちはこれを機に機構、素材、人間工学の面で探求を進めるとともに、文字盤を持たない最初の時計のひとつにしました」

 その時計はオーデマ ピゲにとって革命的なものだった。しかしロイヤル オーク コンセプトと、そのちょうど1年前にリリースされたリシャール・ミルのRM-001の類似性もすぐに見て取れるだろう。偶然ではない。その頃には、オーデマ ピゲはすでにRM-001の開発に影響力を与えていた、有名なルノー&パピの過半数の投資家になっており、そのパートナーシップ関係は年々深まっている。トゥールビヨンが信じられないほど壊れやすい調整機構と考えられていた当時、リシャール・ミルはトゥールビヨンにほぼ衝撃を与えない、目を引くデザイン要素に変えた。1年後、オーデマ ピゲはそれを次のレベルへと引き上げた。

2008年のAP ロイヤルオーク コンセプト カーボン。

 CW 1とRD#1までの13年間、ブランドはコンセプトで革新を続けた。2008年に発表されたコンセプト カーボンは、ブランドが鍛造カーボン、チタン、セラミックに挑戦する機会となり、将来のオールセラミックモデルの土台を作ったと言っても過言ではない。この時計は約237時間のパワーリザーブを提供するツインバレル搭載のCal.2895で、ファンクションセレクター、珍しいリニアカウンターを備えたクロノグラフを特徴とする。6時位置のファンクションセレクターでは、巻き上げ(Rはremontoire)、ニュートラル(Nはneutre)、セッティング(Hはheures)の状態を示す。2011年にリリースされたコンセプト GMTには、約237時間パワーリザーブを持つトゥールビヨンを搭載。クロノグラフを廃止し、おそらくコンセプトのリリースのなかで最もシンプルかつ控えめなGMT機能を追加した。本作は実用的で機能的なリリースであり、何よりも注目すべきは、ムーブメントを構築する文字盤側のデザインコードが、現在でも私たちが目にするものに近いものであったことだ。

 ラギ氏は少し笑いながら、「コンセプトはかなり分厚いのでとても便利なんです」と語った。「新しいメカニズムを試したいとき、それを実行するためのスペースが少し必要になることがあります。これらすべての理由から、私たちはここ数年、このコンセプトを使って技術的な時計製造を探求してきました」

2011 Concept GMT
2011年に登場したロイヤル オーク コンセプト GMT。

AP Schumacher Lap Timer
 2015年に発表されたコンセプト ラップタイマー ミハエル・シューマッハモデルは、21世紀(あるいは20世紀)に入ってから、オーデマ ピゲがクロノグラフ開発に本格的に取り組んだ最初のモデルだった。オーデマ ピゲの自社製Cal.2923は、3つのプッシャーを介して中央の2本の針を単独で操作できる単一クロノグラフであった。ふたつのスタンダードなプッシャーはほかのクロノグラフと同様の操作だが、9時位置にある3つ目のプッシャーは、クロノグラフ秒針の一方を停止させ、もう一方を帰零させるという、ラップタイムを計れるものだった。のちに誕生したMB&FのLM シーケンシャルとの類似性は一目瞭然だが、コンセプト ラップタイマーはより伝統的なレイアウトですべてを実現させたのだ。

AP Concept Watches
2008年のAP ロイヤル オーク コンセプト カーボン、ロイヤル オーク コンセプト フライングトゥールビヨン ブラックパンサー、そして2011年のロイヤル オーク コンセプト GMT。

 その後マーベルが登場した。まあそんなところだ。コンセプト ブラックパンサーの発表はウォッチコミュニティにさまざまな軋轢をもたらしたが、コンセプトがオーデマ ピゲのラインナップで果たす役割に大きな変化をもたらしたのは、実はこれが初めてではない。2018年、オーデマ ピゲは初のウィメンズコンセプトモデルを投入し、それに伴いブランド初のフライングトゥールビヨンを搭載したCal.2951を発表した。しかし460個のバゲットまたはブリリアントカットダイヤモンドがセットされた38.5mmのホワイトゴールドケースというビジュアル的な観点により、技術的な成果はほとんど後回しにされてしまう。何年にもわたり、金無垢や貴石を用いたさまざまなバリエーションのレディスコンセプトが発表されたが、そのすべてに同じフライングトゥールビヨンを搭載。本ラインは技術的なものと同様に、デザイン的プラットフォームとしても確固たる地位を築いたのだ。そこへオートクチュールのデザイナーであるタマラ・ラルフ(Tamara Ralph)氏が手がけたフロステッドローズゴールドのコンセプト38.5mmがリリース。これ自体は、2020年に発表された下の写真のモデルにちなんだものである。

Royal Oak Concept Frosted
Photo: courtesy of Audemars Piguet

 時計業界では、マーベルのリリースがうんざりするほど議論されてきた。個人的にはブラックパンサーは思っていた以上に感動したものだが、ただ今でも別に好きではない。文字盤にあしらわれたフィギュアの目は、まるで本物かのように生き生きとしている。しかし本モデルに搭載された真の複雑機構は、レディスのコンセプトラインに搭載されたのと同じフライングトゥールビヨンのみであり、時計製造における革新的な技術はなかった。

 コンセプトウォッチのもうひとつの特徴は、特別に多くのものがリリースされなかったことだ。例えばCW 1は少なくとも5年間生産されたが、連続生産されたのはわずか140本であり、そのほかに14本が、トップクライアントのためにユニークピースとしてつくられた。またミハエル・シューマッハのコンセプトは、彼のF1キャリアでのポイントフィニッシュごとに1ピースずつ生産され、計221本のピースが誕生した。最近のリリースであるタマラ・ラルフ氏とのコンセプトはわずか102本のみだ。ほかの多くは正式な限定版ではなかったが、生産数が限られていたことは確かである。

 昨年ラギ氏と話したとき、彼は新しい“ユニヴェルセル”をリリースするためにラウンドケースが必要であると早い段階から判明していたが、2016年に開発が始まった当時、CODE 11.59はまだ存在すらしていなかったと話してくれた。それがこの記念碑的偉業のために、CODEが生まれたことを意味するのかどうかはわからないが、最初からこの時計はロイヤル オーク コンセプトではない運命にあったのだ。ということは、コレクションはもうこれで終わりということなのだろうか?

AP Concept Black Panther
過去から学ぶ
 昨年、私はオーデマ ピゲのアーカイブを見学し、ブランドの歴史からさまざまな時計まで扱うことができた。私が見ることができた最も古い時計は1893年製のものだった。ブランドの象徴である“ユニヴェルセル”よりも6年前につくられたという、信じられないほど複雑な懐中時計であり、グランソヌリ、ミニッツリピーター、パーペチュアルカレンダー、スプリットセコンド、ムーンフェイズ、そして機能を誤って起動しないようにロックする独創的な“セーフティベゼル”を搭載していた。この時計はおそらく、ルイ=エリゼ・ピゲ(Louis-elysée Piguet)社のエボーシュをベースにオーデマ ピゲが製造したもので、デュルシュタイン社、ドレスデン&グラスヒュッテ社、グラスヒュッテ・ウーレンファブリーク・ユニオン社のサインが入っていた。

 1893年から1930年代まで、ハンガリーの司教カーリー・エマニュエル・ド・チャスキー(Hungarian bishop Károly Emmánuel de Csáky)が所有していたが、チャスキーの死を機にのちのローマ教皇ピウス11世であるアキッレ・ラッティ(Achille Ratti)に贈られた。教皇はその後、時計を主治医のアマンティ・ミラーニ(Amanti Milani)医師に渡す。この時計は2013年に、オーデマ ピゲがクリスティーズから43万7000スイスフラン(当時の相場で約4603万円)で落札した。プレユニヴェルセルと呼ばれるそれは、とんでもないレベルの懐中時計であり、私のような歴史マニアからするとこの時計に触れること自体とてもうれしかった(というわけで、以下、追加の写真を載せることをお許しいただきたい)。

フィリップ・トレダノによる時計収集の冒険譚。

フィリップ・トレダノ(Phillip Toledano)はアーティストであり、自動車愛好家でもあるが、最近になって時計収集の沼に頭から飛び込んだ。

私は病的なまでの逆張り主義者である。だから私はいつもヴィンテージカーとヴィンテージウォッチの関係をエルヴィスも唸り口をつぐむ、軽蔑の目で見てきた。

 この否定は昨年10月まで続いていたが、ある日曜日の朝、目を覚ましてから6時間のあいだにTalking Watchesを全部消化してしまっていた。魅力的な新しい語彙に酔いしれ、それと同時に困惑した。夜光、トゥールビヨン(小鱈の親戚?)、そして私の大好きなトロピカル…“色あせた”というありふれたワードを、なんと詩的に言い換えているのだろう。まるで舌の動きひとつで、中古車が“ジェントリープレオウンド”に変わるかのように。

 何がこの時計熱の引き金になったのかわからない。それは長いあいだ眠っていた欲望だったのだろうか、私のもっとうるさくてオイリーな、クルマへの衝動に抑圧されていたのだろうか? 原因が何であれ、私はひどく悩まされた。

 今、私は何の因果かここでHODINKEEの原稿を書いている。

 はっきりと言おう。私は時計学について知識がない。しかし重要なのは、私は熱狂的な時計マニアだということだ。今回はそんな私の旅にお付き合いいただきたい。私がまるで休暇中に酔っ払った船乗りのように、時計から時計へと移り変わって大失敗する様子を見て欲しい。その間みなさんは、きっと頭を抱えることになるだろう。

 クルマ難民の私がすぐに気づいたことをいくつか説明させて欲しい。ヴィンテージカーを購入する場合、もちろん難航する可能性はあるものの、たいていはかなり簡単なことをしている。シャシーナンバー(クルマにおける生産工場での通し番号)は一致しているか? ある1973年型フェラーリには、もともとポップアップ式のDVDプレーヤーが搭載していたのか? これは本当の話だ。誰かが錆びたボディパネルを平らなビール缶に取り替えたのか? これも真実。フェラーリ V12は4気筒のフィエロ製ランプに交換されているか? まあこれは私の作り話だ。

phil toledano watches
フィルの現在のコレクションからいくつかピックアップ。

 しかし時計の場合、常にウォッチポルカリプス(社会的混乱と時計を合わせた造語)の瀬戸際に立たされているようだ。夜光は取り付けなおしたか? リダイヤルか? そうだとしたら、いったいどうやって見分けるのか? それは純正のリューズか? 正しいベゼルか? そうでない場合、どこで見つけられるのか? “halfwit(半端者)”と名前がエンボス加工されたボロボロのアメックスカードを頼りに、数えきれないほどの困難や危険が無限に降り注いでくる。

 私が最初に行ったのは、ロレックスのオイスターブレスレットをeBayで購入したことだ。みなさんが私にあきれている様子が目に浮かぶ。もちろん、それらはすべて災害レベルの時計であった。ただヒンデンブルク級の災害ではなく、他人のせいにしようとしたちょっとした接触事故のようなものだ。私はすぐにダンジョンズ&ドラゴンズレベルの知識を持ったロレックスのアドバイザーが必要だと気づいた。メーターファースト、コメックスダイヤル、そして難解な魔法のルーン文字など、ロレックスの世界に足を踏み入れるために必要な複雑な技術や知識を解読できる人が。安全策を取ろうと、私は100%の支持率を得ていた出品者から素敵なエクスプローラーIIを購入した。到着して修理に出したとき、内部は、野生動物がなかに閉じ込められて抜け出そうとして爪を立てるかのように、まったく開かなかった。そう、文字盤がムーブメントに接着されていたのだ。

 よくやったトレダノ。本当によくやった。

 少しお金を稼ぐようになると、すぐに富裕層からファックスが届くようになった。その紙切れには買うべきもののリストが書かれていた。フェラーリ458(もちろんレッド/ベージュ)。ロレックス デイトナ。イースト・ハンプトンの家。純金製のトイレ。誤解しないでいただきたいのは、それらが悪いものというわけではないが、完璧な逆張り主義者としては、それと違うものを所有したかったのだ(私のとんでもなく格好よくてバカげたクルマについて聞いてくれれば、何を言いたいかわかるだろう)。自分が持っているものには、一般的なセンスのよし悪しよりも自分らしさを反映させたいのだ。その“異なるもの”は高価である必要はないが、珍しかったりおもしろかったり、また美しいものでなければならない。あるいはその3つすべてか。

 ということで、今週はここまでとする。願わくばあなたが睡眠障害を引き起こさないことを願うが、きっともっと欲しいと懇願するだろう(あるいは私に怒りの手紙を書くはず)。次のコラムでは、ロレックスに対する議論のあとに何が起こったのか、そして私が購入した時計のなかで希少で美しいと思ったものの、そのほとんどは結局どちらでもなかったものについてお話ししよう。

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