ロレックススーパーコピーのクロノグラフについて知っておくべきことを詳説した。

ロレックス デイトナは、時計史における最も有名なモデルのひとつでありながら、いまだに頑固なまでに誤解されてもいる。このモデルは、ツールウォッチの歴史に遅れて登場した。その後、紆余曲折を経てスーパースターとなり、ある有名人(ほかに表現のしようがなかった)の影響により頂点に立つ。アフターマーケットの価格は数十年にわたり高騰し、2022年初めには急落するなど、市場の変動も激しくなっている。デイトナは、オークションで落札されたロレックスのなかで最も高価であると同時に、過剰露出と過大評価と見なす目利きたちから最も注目されるモデルでもある。

 あまりに人気があるため、基本的に小売店では購入ことはできない。そして、アンチからはなぜ買おうと思うのかと訝しむほど悪名高い。

 そのロレックス デイトナが2023年、誕生60周年を迎える。この機会に、特に一部のモデルが再び手ごろな価格になった今、我々はこのモデルを全面的に再評価したい。デイトナは、かつて現在のような化物のような存在ではなかった。何年も、何世代にもわたって日陰の存在にあったからこそ、現在の地位はより印象的なものとなっているのだ。このあと、モータースポーツで活用されたのを起源とするこのクロノグラフについて、ひとつひとつのリファレンスを年代ごとに解説していきたい。しかし、デイトナを理解するためには、まずロレックスという会社を理解しなければならない。神話を製造するこの会社を。

Daytona
デイトナ Ref.116500LN

ロレックス クロノグラフのはじまり
ロレックススーパーコピーの創業者ハンス・ウィルスドルフは、物語の持つ力を理解していた。そのため、彼はストーリーテリングをブランドの礎とした。ロレックスの社名にまつわる物語も、完璧なまでに夢物語である。ロレックスの公式発表によると、この社名は、ウィルスドルフが乗合馬車に乗っているときに(全知全能の神の声が彼の耳元に囁くように)ふと浮かんだという。

A Rolex ref. 3330
ロレックス Ref.3330 “アンチ・マグネティック(耐磁)”クロノグラフ。 Image: Courtesy of Phillips

 ウィルスドルフの自動巻きローター(パーペチュアル)と防水ケース(オイスター)へのこだわりは、ロレックスの伝説を築き上げることになった。1927年、メルセデス・グライツ女史が英仏海峡を泳いで渡ったとき、ロレックスのオイスターを腕にした彼女の、伝説的な広告キャンペーンが展開された。その数年後、ロレックスはエドモンド・ヒラリー卿とテンジン・ノルゲイのエベレスト遠征のスポンサーとなり、未来の探検家用腕時計の研究開発を推進することになった。デイトナには、あまり知られていないものの、独自のストーリーがあり、それはロレックスがクロノグラフウォッチの製作に着手した初期の時代から始まっている。

 ロレックスには1920年代のRef.2303のような初期のモノプッシャースポーツクロノグラフが存在し、ロレックスは世界最小のクロノグラフとして宣伝していた。しかし、グライツやヒラリーと同じように、ロレックスはクロノグラフの実験を進めるために、あるスポーツ選手とのパートナーシップを結ぶことになった。その人物とは、フロリダのデイトナビーチでロレックスのオイスターを装着してレースに勝利していたマルコム・キャンベル卿である(これは物語の伏線なのだろうか?)。この功績を讃える当時の広告が数多く残されている。彼はまた、1935年にユタ州のボンネビル・ソルトフラッツで記録した、自動車で時速300マイル(482.80km/h)を走行した最初の人物でもある。オークションのアーカイブによると、ロレックスは彼に敬意を表して、タキメーターとテレメーターのふたつの計測目盛りをダイヤルに配したクロノグラフを製作したそうだ。このロレックス初期の耐磁クロノグラフは、レーシングアイコンへの賛辞と彼の成功への反応であったのだ。

4113
 1940年、ロレックスは12本のスプリットセコンドクロノグラフ Ref.4113を製造した。この時計は量産されなかったため、時計界の超希少品として殿堂入りしている。実際、初期のロレックスのクロノグラフはどれも量産されたものではない。オークションの記録から、Ref.4113の12本すべてが当時どこで販売されたかを特定することが可能だ。それによると、購入者が自動車レースと何らかの関係があることがわかった。この時代のロレックスのクロノグラフの製造は、ほとんどがユニークピース(1点もの)の少量生産であった。そして、そのような試みのなかで、ロレックスはオイスターケースを用いた、より認知度の高い3レジスタークロノグラフのフォーマットを採用し、その規模を拡大していくことになる。

 この新しいクロノグラフの波は、1950年代初頭にRef.6034/6234の生産で本格化した。この2モデルは“プレデイトナ”と呼ばれる3レジスターモデルで、現在に続くデイトナのデザインテンプレートとなった。このプレデイトナの誕生により、60年にわたりこの基本的なデザイン言語が徐々に進化することになったのだ。

Daytona
プレ・デイトナ
Ref.6034
6034
 デイトナ以前のリファレンスは、現在のロレックスのツールウォッチを先取りしていた。ロレックスは1950年にオイスター クロノグラフ Ref.6034を発表した。これは最初のサブマリーナーとエクスプローラーの3年前、そしてGMTマスターの4年前である。この時計は、美的観点から見ると、視認性重視というよりも、技術重視のモデルであった。現在でも、この時計を見て、使い方を理解するには、ひと呼吸置かなければならない。この時計で目にするのは、テレメーターとタキメーターという、物体の距離と速度をそれぞれ計測するスケールにオーバーラップした3つのサブダイヤルだ。

Ref.6234
6234
 1955年、ロレックスはRef.6234を発表した。本モデルは1961年までロレックスコレクションの主力クロノグラフとして活躍することになる。この時計は多くの点で実質的に同じであるが、計算尺とオーバーラップするインダイヤルを持つ先代に対し、本モデルはインナーダイヤルの枠のなかに収められた小さなインダイヤルが特徴である。

Ref.6238
6238
 プレデイトナのタイムラインにおける基軸となるリファレンスを紹介しよう。Ref.6238である。この60年代初期のリファレンスで、ロレックスは新しい10年の幕開けを告げるクロノグラフのリ・デザインに大きく舵を切った。このモデルはRef.6234のデザインを踏襲したものである。ベゼルにポンププッシャー、内側にタキメータースケールを備え、ダイヤルはホワイト、シルバー、ブラックから選ぶことができた(ただしブラックは極めて希少)。シルバーとブラックのダイヤルには、テレメータースケールがない。しかし、ホワイトダイヤルのRef.6238には、Ref.6234と同様のダイヤルを持つモデルが存在する。潜水用(サブ)、飛行用(GMT)、探検用(エクスプローラー)、そして今回のモータースポーツと、ロレックスのコレクションはどれも明確な目的を持っていたのだ。

 Ref.6238は非常に当時らしい外観を持ち、ある種コントラストのないダイヤルデザイン(インダイヤルがダイヤルそのものと同色という意味)は、オリジナルのホイヤー カレラにも見ることができ、長年にわたってデイトナそのものと同様に収集されるようになった。特にブラックダイヤルのモデルは人気が高い。

 1963年から1966年にかけて、このコレクションには3つの新しいリファレンスが投入されたが、Ref.6238はそれらと併売されていた。デイトナ(とそのクロノグラフシリーズ全体)は、多くの点で実験的な試みの温床となっていた。いずれも大ヒット商品ではなく、クロノグラフという複雑機構のため、ツールウォッチよりも高価だった。そこで適者生存の観点から、これらのバリエーションが併売されることになったのだ。

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デイトナの誕生 – ベゼルの力
 ロレックス初の本格的なコスモグラフの発売年については、少し曖昧である。1963年の広告には“ル・マン(デイトナの名称が考案される前)”と書かれていることから、このことがわかる。この年は、クロノグラフが単なる時計からツールウォッチになった重要な年であり、タキメータースケールをダイヤルからベゼルに移動させるというひとつの決断がなされた年である。この変更により、時計の視認性が限りなく向上し、ベゼルに明確な目的が与えられた。