ィーラーであるウォッチ・ブラザーズ・ロンドン(Watch Brothers London)が、ブランパン シックス・マスターピースのスペシャルセットを提供してくれた。今回は1980年代に起きた、ブランパン再生のストーリーをお伝えしていこう。
「1735年の創設以来、ブランパンのクォーツ時計は一度も存在しない。そしてこれからも出ることはないだろう」
1981年、ジャン-クロード・ビバー氏とそのパートナーであるジャック・ピゲ氏が、ブランパンを2万1500スイスフラン(当時の相場で約245万円)で買収したときに打ち出したのが、今では有名なこのスローガンである。彼らはクォーツショック以来、ほぼ休眠状態にあった時計メーカーのブランパンを、あの当時華やかだった新型クォーツウォッチに対して伝統あふれる逸品という位置づけをしていた。その11年後、ビバーはブランパンをスウォッチグループに6000万スイスフラン(当時の相場で約54億1450万円)で売却している。
ブランパンスーパーコピー時計代引きのこの時代は、キャッチーなスローガンとビバー氏の手腕による天才的なマーケティングの物語として語られることが多いが、同時に真の時計製造も行われていた。ビバー氏のパートナーだったピゲ氏は、エボーシュメーカーであるフレデリック・ピゲの息子だった。ピゲ氏とビバー氏は、ブランパンの“6本の傑作”(シックス・マスターピース)と現在呼ばれている作品をつくるべく、ともに計画を練った。クォーツショック以降多くの人が、このときには2度と戻れないだろうと思っていた時代に、スイスの伝統的な時計製造の歴史を彷彿とさせる複雑機構を備えたこの6本の機械式時計が誕生したのだ。それがコンプリートカレンダー ムーンフェイズ、ウルトラスリム、パーペチュアルカレンダー、ミニッツリピーター、スプリットセコンドクロノグラフ、フライングトゥールビヨンの6つだ。シックス・マスターピースはすべて伝統的な34mmのラウンドケースでつくられ、同時に裏蓋には製造番号が割り当てられている。
ビバー氏がTalking Watchesの記事で語ったように、ブランパンがコンプリートカレンダー ムーンフェイズを初めて発表したのは1983年のこと。ウルトラスリム Ref.0021はその翌年に登場した。80年代の終わりまでにブランパンは、シックス・マスターピースをすべて発表している。ビバー氏はもちろん、それぞれの名品のプラチナ製、No.00を保管しており、取材のなかで何本か見せてもらった。
jean claude biver blancpain
2万1500スイスフラン(当時の相場で約245万円)を6000万スイスフラン(当時の相場で約54億1450万円)に変えたなら、あなたもこれぐらい威張れるだろう。
ではつくりたかったコンプリケーションをすべて実現したら、次はどうするのだろうか? もちろん、これらの機能をすべて組み合わせるのだ。1990年末、ブランパンは超薄型ムーブメントにパーペチュアルカレンダー、ムーンフェイズ、スプリットセコンドクロノグラフ、トゥールビヨン、ミニッツリピーターなどを搭載した、グランド・コンプリケーション 1735を発表した。
1991年、ブランパンはシックス・マスターピースと、それらを組み合わせたグランド・コンプリケーション完成を記念し、それぞれ6本のマスターピースすべてをセットにした限定ボックスを発売する。全99セット限定でシックス・マスターピースをそれぞれプラチナ製にし、豪華なチェッカーボードボックスに入れてデリバリーしたのだ。色々な意味で、ビバー時代のブランパンの最高峰ともいえるだろう。翌年、ブランパンはスウォッチグループに売却された。さて、この99セットのうち、ウォッチ・ブラザーズ・ロンドンにてNo.1を発見した。これはブランパンと時計史に残る素晴らしい作品であり、コレクターのあいだで今再び評価され始めている。これを機にシックス・マスターピースを詳しく深掘りしていこうではないか。
シックス・マスターピースの背景
blancpain six masterpieces set platinum
Image (and hero image): Courtesy of Watch Brothers London/Owen Lawton
ビバー氏はマーケティングの天才であることは間違いないが、クォーツウォッチに関する話をでっち上げることさえあった。「ある日スイス時計協会(Fédération Horlogère)から手紙が届いた」と、ビバー氏は2019年にヨーロッパスター内でそう語っている。「クォーツには発がん性があり、電池だから危険だ、と会合で発言していたことを手紙で咎められました」。しかしビバー氏とピゲ氏はそのささいな嘘の裏で、ブランパンの伝統的な時計製造のビジョンも抱いていた。
コンプリートカレンダー ムーンフェイズ Ref.6595
Blancpain complete calendar moonphase 6595
ドン・マクリーン(Don McLean)氏のTalking Watches記事で登場したブランパンの6595。シックス・マスターピースはオーストリッチのストラップで販売されることが多かったが、この写真のようにゲイ・フレアー社製のブレスレットをつけて提供されたこともあった。
「ブランパンを時と分だけの時計で再出発させたくはなかった。伝統的な渋さと美しい仕上げだけでなく、プラスアルファの機能も必要だったのです。ムーンフェイズは、ノスタルジーと詩的に満ちあふれた、理想的な機構でした」とビバー氏は言う。ビバー氏は、1940年代から使われていなかったカレンダーとムーンフェイズのムーブメントをつくるために必要な道具を、フレデリック・ピゲの屋根裏部屋ですべて見つけたという。この出来事からブランパンはスタートしたのだ。
Blancpain 6395 and 6596 calendar moonphase
1983年に発表されたミニムーンフェイズ(Ref.6395)と通常のサイズ(Ref.6595)。
1983年に、ブランパンはコンプリートカレンダー ムーンフェイズ Ref.6595(34mm径)を発表。またあわせて26mmサイズのRef.6395も発表し、これは当時最小のコンプリートカレンダー ムーンフェイズとして記録も打ち立てている。小さくて薄く、そして6時位置にモナリザの微笑みのようなムーンフェイズを配したこの時計は、複雑で伝統的な時計製造でありながら、それを声高に主張することもないという、新しいブランパンが何をするためにあるのかという声明のようでもあった。クォーツではできない、高級感あふれる時計製造なのだと。ちなみに参考までにRef.6595は、スウォッチが市場に参入した同年に発売している。
ところで、ここに掲載されている画像の多くがホワイト文字盤で宝石もなし、騒がしくないという傑作のなかでも最も保守的なものだ。しかし、これらのリファレンスの多くにはマザー・オブ・パールのダイヤル、宝石がセットされたベゼル、ピンク・オン・ピンクの例といった何十種類ものバリエーションが存在している。ただしどれも、コレクターがなかなか抜け出すことができない状況に陥ってまで何年も探し回るような、希少で美しいものばかりである。
ウルトラスリム Ref.0021
blancpain ultra-thin ref. 0021
プラチナ製のブランパン ウルトラスリムが2本。右はスケルトン仕様だ。Images: Courtesy of Antiquorum
blancpain ultrathin 0021 1990s
ブランパンの有名なスローガンを強調した、ウルトラスリム Ref.0021の広告。
翌年、ブランパンは2本目となるマスターピース、ウルトラスリム Ref.0021を製造した。内部には1925年にピゲのクライアントのために初めて使用された、有名なF.ピゲのCal.21を搭載している。厚さはわずか1.75mmであり、最薄キャリバーの記録を20年間守っていた。Ref.0021は、さまざまなケースメタル、組み合わせで展開していたが、なかでもいちばん魅力的なのはスケルトン仕様だ。複雑ななかにさらに複雑な要素が含まれているようなものである。さらにブランパンは、Ref.0021の自動巻きモデルであるウルトラスリム Ref.0071も発表している。
シンプルでエレガントなデザインであり、名作中の名作とまではいかないかもしれないが、このモデルで新しいブランパンの存在を主張していることは確かだ。
パーペチュアルカレンダー Ref.5395
blancpain perpetual calendar 5395
2014年、ジャン-クロード・ビバー氏が我々と時計について語り合ったとき、彼はブランパンを復活させたときのことを話してくれた。ブランパン シックス・マスターピースそれぞれのプラチナ製No.00を保管していた彼は、そのときいくつかの時計を見せてくれたのだ。
次に、1986年に登場したのが、パーペチュアルカレンダーのRef.5395だ。ほかの傑作機と同様、直径34mmに厚さ9mmという小振りなサイズ感だった。同モデルは3つのインダイヤルと、6時位置にムーンフェイズを備えた、シンメトリーな美しい文字盤を備えている。私にとっては、大手メーカーが同時期に発表したQP(超薄型自動巻きパーペチュアルカレンダーのこと)とも並ぶと思っている(付け加えると、価格はその数分の1だ)。最初のバージョンにはうるう年表示がなかったが、ブランパンはすぐにアップデートを施したRef.5495でそれに応えている(それ以外は似たような感じだ)。