オーデマ ピゲの研究開発プラットフォームであった“ユニヴェルセル”が登場したが、

オーデマ ピゲが17もの複雑機構を持つ驚異的なCODE 11.59 “ユニヴェルセル”をリリースしたのは、ブランドにとって大きな瞬間であった。この時計はオーデマ ピゲがコンプリケーションの分野で最も注目すべきエキスパートのひとりであると、その地位を確固たるものにした(というより世界に知らしめた)だけでなく、CODE 11.59に“研究開発”というラベルももたらした。発売当時はインターネットでかなり酷評されていたコレクション(ただし、CODEは徐々にファンを獲得していった)にとっては、画期的な出来事である。しかし今回、CODEは独立したシンプルな時計として成長しただけでなく、オーデマ ピゲが手がけた最も複雑な作品のひとつがこの時計であることも示した。

 しかしここで問題なのは、それはロイヤル オーク コンセプトのテリトリーだと思っていたことだ。2015年まで遡っても、ロイヤル オーク コンセプトのケース形状はスーパーソヌリの技術革新とともに、オリジナルRDウォッチのベースモデルであった。実際、同社はスーパーソヌリの品質を証明したいあまり、プロトタイプをつくる際、最悪の響きを奏でるプラチナを素材に選んだ。私が扱った時計のなかで最も重い時計のひとつであることに加え、私が聞いたなかで最も大きな音のするリピーターのひとつでもある。信じられない音が響き、私は夢中になった。あのフォームファクターでコンセプトモデルをテストするのは完全に理にかなっていたが、あれが最後のRDコンセプトだった。それはブランドの研究開発用プラットフォームであり、ほかのどこにもない素材や、ムーブメントの実験を可能にするための完璧な大きさだった(少なくとも今はまだ)。しかしRD#4が登場したとき、私は突然、5年後にコンセプトが廃止される世界が見えたのだ。私の当面の疑問は、これでロイヤル オーク コンセプトは終わりなのかということだった。

The AP Royal Oak Concept RD#1 Supersonnerie Prototype
AP ロイヤル オーク コンセプト RD#1 スーパーソヌリ プロトタイプ 26576。プラチナケースに収められたこのモデルは、リピーターだけでなくトゥールビヨンとクロノグラフも搭載している。この時計は2015年に56万1600スイスフラン(当時の相場で約7070万円)で販売されたが、現在の流通市場では、そのほぼ半額で入手できる。

 私がロイヤル オーク コンセプトを好きになったのは、数年前にジョン・メイヤー(John Mayer)とその前にはファレル(Pharrell)の手首に巻かれているのを見たのがきっかけだった。私はすぐにリシャール・ミルが長年やってきたこと、つまり素材の実験と技術革新に重きを置いた、大きくて大胆な時計のより洗練されたバージョンだと考えた。時計作家の言葉を借りれば、44mm×16mm(またはそれくらい)の巨大なサイズよりも小さいが、それとは関係なく、手首での存在感は典型的なロックスターの時計だ。何度試着しても絶対に似合わないと思っているが、それでも大好きなのだ。ほかの誰かになることを想像させてくれる時計である。

 この50年間、オーデマ ピゲは、特異なデザインや形というよりも複雑な時計製造によって定義されたブランドであると強く主張できる。特に1978年は、その時代で最も薄い自動巻きパーペチュアルカレンダー、Cal.2120/2800のリリースにより、ブランドにとって信じられないほど重要な瞬間を迎えた。その後18年のあいだに、オーデマ ピゲはこの厚さ3.95mmのパーペチュアルカレンダーを搭載した6508本の時計と、791本のオープンワークモデルを製造することになる。そのなかで最も象徴的なのが、39mmのジャンボケースを備えた当時のロイヤル オークだ。パテック フィリップが創業150周年を記念して発表したCal.89から始まり、IWCの“イル・デストリエロ・スカフージア”やジェラルド・ジェンタの“グランド・エ・プティット・ソヌリ・パーペチュアル・カレンダー”といったリリースが続いたのは、ハイコンプリケーションの軍備拡張競争によって区切られた時代だったからである。しかし、ロイヤル オークのパーペチュアルカレンダーが最初の、そして紛れもなく最も象徴的なモデルのひとつであり、しばらくのあいだその状態は続いた。

コンセプトの誕生
 ときは流れて2002年、オーデマ ピゲはロイヤル オークの誕生30周年を記念して、コンセプトウォッチ1(CW 1)を発表し、象徴的なフォームファクターの未来を想像する手段とした。コンセプトは、クルマメーカーが最先端の開発をアピールして業界の未来を示すために頻繁に発売するコンセプトカーに触発されたため、その名前が付けられた。また、超薄型の2120ムーブメントとは信じられないほどかけ離れてもいた。

The RD#1 and CW1
左がオーデマ ピゲのRD#1、右がオーデマ ピゲのアーカイブにあるオリジナルのコンセプトウォッチ1(CW 1)、シリアルは0/150番。

 ロイヤル オーク コンセプトがブランドを象徴するアイコンとして捉えられていないのは不思議だ。その美学は当時としては大胆であった。洗練されて未来的で大振りなのだ。オーデマ ピゲは私に、これが真に21世紀に属する最初の時計と考えられると言った。実用主義的な観点から見ると、デザイナーに与えられた当初の使命は、可能な限りの技術革新を1本の時計に集約し、さらにコンクリートの壁に投げつけても壊れないようにしなければならなかったという。

 そのためケースにはコバルト、クロム、タングステン、シリコン、鉄からなる革新的な合金、アラクライト602が採用された。これはスティールよりも強度に優れていたが、それ以降、ほかの時計に使用されることはなかった。ベゼルはポリッシュされたチタン製だ。ムーブメントプレート、ブリッジ、トゥールビヨンケージの耐衝撃サポートシステムが鍛造カーボン製であることを強調しつつ、ムーブメント自体が文字盤として機能していた。またダイナモグラフ(ゼンマイのトルク量を示す)、ファンクションセレクター、香箱の回転数を示す線形インジケーターなどの新機能も搭載された。さらにストラップにはケブラー繊維で作られたファブリックストラップがセットされていた。

 オーデマ ピゲの開発ディレクター、ルーカス・ラギ(Lucas Raggi)氏は、私が昨年このテーマについて話をしたとき、「コンセプトは自由と極端さを表現しています」と話した。「私たちはこれを機に機構、素材、人間工学の面で探求を進めるとともに、文字盤を持たない最初の時計のひとつにしました」

 その時計はオーデマ ピゲにとって革命的なものだった。しかしロイヤル オーク コンセプトと、そのちょうど1年前にリリースされたリシャール・ミルのRM-001の類似性もすぐに見て取れるだろう。偶然ではない。その頃には、オーデマ ピゲはすでにRM-001の開発に影響力を与えていた、有名なルノー&パピの過半数の投資家になっており、そのパートナーシップ関係は年々深まっている。トゥールビヨンが信じられないほど壊れやすい調整機構と考えられていた当時、リシャール・ミルはトゥールビヨンにほぼ衝撃を与えない、目を引くデザイン要素に変えた。1年後、オーデマ ピゲはそれを次のレベルへと引き上げた。

2008年のAP ロイヤルオーク コンセプト カーボン。

 CW 1とRD#1までの13年間、ブランドはコンセプトで革新を続けた。2008年に発表されたコンセプト カーボンは、ブランドが鍛造カーボン、チタン、セラミックに挑戦する機会となり、将来のオールセラミックモデルの土台を作ったと言っても過言ではない。この時計は約237時間のパワーリザーブを提供するツインバレル搭載のCal.2895で、ファンクションセレクター、珍しいリニアカウンターを備えたクロノグラフを特徴とする。6時位置のファンクションセレクターでは、巻き上げ(Rはremontoire)、ニュートラル(Nはneutre)、セッティング(Hはheures)の状態を示す。2011年にリリースされたコンセプト GMTには、約237時間パワーリザーブを持つトゥールビヨンを搭載。クロノグラフを廃止し、おそらくコンセプトのリリースのなかで最もシンプルかつ控えめなGMT機能を追加した。本作は実用的で機能的なリリースであり、何よりも注目すべきは、ムーブメントを構築する文字盤側のデザインコードが、現在でも私たちが目にするものに近いものであったことだ。

 ラギ氏は少し笑いながら、「コンセプトはかなり分厚いのでとても便利なんです」と語った。「新しいメカニズムを試したいとき、それを実行するためのスペースが少し必要になることがあります。これらすべての理由から、私たちはここ数年、このコンセプトを使って技術的な時計製造を探求してきました」

2011 Concept GMT
2011年に登場したロイヤル オーク コンセプト GMT。

AP Schumacher Lap Timer
 2015年に発表されたコンセプト ラップタイマー ミハエル・シューマッハモデルは、21世紀(あるいは20世紀)に入ってから、オーデマ ピゲがクロノグラフ開発に本格的に取り組んだ最初のモデルだった。オーデマ ピゲの自社製Cal.2923は、3つのプッシャーを介して中央の2本の針を単独で操作できる単一クロノグラフであった。ふたつのスタンダードなプッシャーはほかのクロノグラフと同様の操作だが、9時位置にある3つ目のプッシャーは、クロノグラフ秒針の一方を停止させ、もう一方を帰零させるという、ラップタイムを計れるものだった。のちに誕生したMB&FのLM シーケンシャルとの類似性は一目瞭然だが、コンセプト ラップタイマーはより伝統的なレイアウトですべてを実現させたのだ。

AP Concept Watches
2008年のAP ロイヤル オーク コンセプト カーボン、ロイヤル オーク コンセプト フライングトゥールビヨン ブラックパンサー、そして2011年のロイヤル オーク コンセプト GMT。

 その後マーベルが登場した。まあそんなところだ。コンセプト ブラックパンサーの発表はウォッチコミュニティにさまざまな軋轢をもたらしたが、コンセプトがオーデマ ピゲのラインナップで果たす役割に大きな変化をもたらしたのは、実はこれが初めてではない。2018年、オーデマ ピゲは初のウィメンズコンセプトモデルを投入し、それに伴いブランド初のフライングトゥールビヨンを搭載したCal.2951を発表した。しかし460個のバゲットまたはブリリアントカットダイヤモンドがセットされた38.5mmのホワイトゴールドケースというビジュアル的な観点により、技術的な成果はほとんど後回しにされてしまう。何年にもわたり、金無垢や貴石を用いたさまざまなバリエーションのレディスコンセプトが発表されたが、そのすべてに同じフライングトゥールビヨンを搭載。本ラインは技術的なものと同様に、デザイン的プラットフォームとしても確固たる地位を築いたのだ。そこへオートクチュールのデザイナーであるタマラ・ラルフ(Tamara Ralph)氏が手がけたフロステッドローズゴールドのコンセプト38.5mmがリリース。これ自体は、2020年に発表された下の写真のモデルにちなんだものである。

Royal Oak Concept Frosted
Photo: courtesy of Audemars Piguet

 時計業界では、マーベルのリリースがうんざりするほど議論されてきた。個人的にはブラックパンサーは思っていた以上に感動したものだが、ただ今でも別に好きではない。文字盤にあしらわれたフィギュアの目は、まるで本物かのように生き生きとしている。しかし本モデルに搭載された真の複雑機構は、レディスのコンセプトラインに搭載されたのと同じフライングトゥールビヨンのみであり、時計製造における革新的な技術はなかった。

 コンセプトウォッチのもうひとつの特徴は、特別に多くのものがリリースされなかったことだ。例えばCW 1は少なくとも5年間生産されたが、連続生産されたのはわずか140本であり、そのほかに14本が、トップクライアントのためにユニークピースとしてつくられた。またミハエル・シューマッハのコンセプトは、彼のF1キャリアでのポイントフィニッシュごとに1ピースずつ生産され、計221本のピースが誕生した。最近のリリースであるタマラ・ラルフ氏とのコンセプトはわずか102本のみだ。ほかの多くは正式な限定版ではなかったが、生産数が限られていたことは確かである。

 昨年ラギ氏と話したとき、彼は新しい“ユニヴェルセル”をリリースするためにラウンドケースが必要であると早い段階から判明していたが、2016年に開発が始まった当時、CODE 11.59はまだ存在すらしていなかったと話してくれた。それがこの記念碑的偉業のために、CODEが生まれたことを意味するのかどうかはわからないが、最初からこの時計はロイヤル オーク コンセプトではない運命にあったのだ。ということは、コレクションはもうこれで終わりということなのだろうか?

AP Concept Black Panther
過去から学ぶ
 昨年、私はオーデマ ピゲのアーカイブを見学し、ブランドの歴史からさまざまな時計まで扱うことができた。私が見ることができた最も古い時計は1893年製のものだった。ブランドの象徴である“ユニヴェルセル”よりも6年前につくられたという、信じられないほど複雑な懐中時計であり、グランソヌリ、ミニッツリピーター、パーペチュアルカレンダー、スプリットセコンド、ムーンフェイズ、そして機能を誤って起動しないようにロックする独創的な“セーフティベゼル”を搭載していた。この時計はおそらく、ルイ=エリゼ・ピゲ(Louis-elysée Piguet)社のエボーシュをベースにオーデマ ピゲが製造したもので、デュルシュタイン社、ドレスデン&グラスヒュッテ社、グラスヒュッテ・ウーレンファブリーク・ユニオン社のサインが入っていた。

 1893年から1930年代まで、ハンガリーの司教カーリー・エマニュエル・ド・チャスキー(Hungarian bishop Károly Emmánuel de Csáky)が所有していたが、チャスキーの死を機にのちのローマ教皇ピウス11世であるアキッレ・ラッティ(Achille Ratti)に贈られた。教皇はその後、時計を主治医のアマンティ・ミラーニ(Amanti Milani)医師に渡す。この時計は2013年に、オーデマ ピゲがクリスティーズから43万7000スイスフラン(当時の相場で約4603万円)で落札した。プレユニヴェルセルと呼ばれるそれは、とんでもないレベルの懐中時計であり、私のような歴史マニアからするとこの時計に触れること自体とてもうれしかった(というわけで、以下、追加の写真を載せることをお許しいただきたい)。